こんにちは!
埼玉エリアの店舗運営スタッフ・川藤です。
さいたま市の成り立ち
埼玉に生まれ育ち、大人になってからは都内の生活が長く続きましたが、2年ほど前に帰ってきました。
今住んでいるのは実家とは違う場所ですが埼玉県です。妙に落ち着きます。
大宮駅から2駅隣の『与野』に住んでいます。駅名にはなっていますが、与野という地名はもうありません。そこら辺も併せてさいたま市を紹介したいと思います。
埼玉県には政令指定都市があります。その名は『さいたま市』…。
当時この名前を聞いた埼玉県民の多くはこう思ったでしょう。
「誰が付けたの?」
「なんで平仮名?」
「ダセー」
もちろん自分もそう思いました。特に地元愛が強い県民性なので、誰もがなぜ?でした。
政令指定都市の条件
名前は一旦置いといて、政令指定都市、どこでも簡単に出来るものではありません。
ご存じの方も多いと思いますが、まず人口50万人以上。
埼玉県でも単体の市ではクリア出来ませんでした。どうすればいいか?条件をクリアするには合併するしかありません。
当時の埼玉県を代表する2大都市(そんなにすごくはないのですが…)、大宮市、浦和市の合併です。それぞれ45万人以上はいました。
その大宮市と浦和市の間にあった、10万人に満たない小さい市それが与野市です。間に挟まれていたため強制合併されました。
これがさいたま市の誕生です。
埼玉県民は地元愛が強いのですが、自分の生まれたところ、住んでいるところにさらに強い愛を持っています。しかし、隣の街すら敵対視し、格下と思う街は相手にもしません。対県外となるとまとまるんですが(映画『翔んで埼玉』を観るとわかります)。
その敵対視する最たる市が旧大宮市と旧浦和市です。この2つの市、今でもですが当時はメチャクチャ仲が悪かったんです。
県庁所在地のある旧浦和市。地方の駅としては栄えていて、東京に近いこともあり正直大宮より綺麗でお洒落さがあります。
片や新幹線の停まる埼玉一のターミナル駅を持つ大宮市。どちらも一歩も譲りませんでした。
県がひとつになった瞬間
そんななか、一度だけひとつになったことがありました。
Jリーグの発足、当時唯一の埼玉のチーム『浦和レッドダイヤモンズ』(通称レッズ)の誕生です。これには埼玉県民総出で盛り上がりました。
弱小チームだったレッズが初優勝した時、まさに県がひとつになり歓喜しました。
しかし、それもつかの間の出来事にすぎませんでした。
『大宮アルディージャ』の誕生です。
これを境に再び大宮と浦和の戦いが始まりました(はたから見ると小さいですね…)。
話すとあっという間ですが、文章にすると意外と長いですね。
今回はこの辺にしておいて、次回続きを紹介させていただきます。