五反田エリアの店舗運営スタッフ・みむです。
温泉巡りの合間に食事処探し
前回のブログで、「水の美味しいところは食べ物も美味しい」と書きましたが、東京に戻ってこの業界に入って、そこそこ落ち着いた頃のことです。一時期温泉にハマって、同業の知り合い2名と男3人で栃木県や群馬県の温泉によく行っていたのを、”水”つながりで思い出しました。
もちろん温泉も源泉かけ流しのところを厳選して行ってましたので最高の湯でしたが、それ以上に目的地を決めないで山の上のほうまで車で向かい、食事処を探すのが楽しみでした。
当時も携帯電話は普及してましたが、今のように気軽にスマホで飲食店を探せるような情報網はまだ整っておらず、口コミや自分の足で探すのが当たり前の時代でした。なので、よくいろんなところに行っていましたね。
その時も山の上のほう上のほうに向かっていました。しばらくするとありました!お蕎麦屋さんが。やはり水の美味しいところにはお蕎麦屋さんが結構ありますよね!そのお店も地元の人たちで賑わう隠れた名店なのか、結構お客さんがおりました。
当時、自分はそこまで蕎麦が好きではなく、普段は中華そば、ラーメンばかりでしたが、宮崎で水の美味しさを知ってしまってからは、蕎麦の味をより感じれるようになりました。今まであんまり美味しい蕎麦を食べたことがなかったからなのか、一時期すっかり蕎麦にハマってしまいました。
印象に残っている蕎麦屋
東京に戻ってからも美味しい蕎麦屋の探索はとても楽しく、自分のテリトリー内ですが、よく初見のお店にも行っていました。
もちろん行くところ行くところすべてが当たりとは限りません。時期的には今から15年前くらいなので、現在も残っているお店のあれば、閉店してしまってるお店もあります。
最近は足が遠のいていますが、今も健在の美味しい蕎麦屋といえば、日暮里駅近くの『とお山』が真っ先に浮かびます。『手打ちそば 遠山』と同系列らしいですが、自分が通っていた頃は『とお山』しかありませんでした。
当時、蕎麦は昼間のランチで食べることがほとんどだったので、頼むのは季節の蕎麦や太くて弾力がある田舎蕎麦と、基本の蕎麦である三色セイロのみ。ほかの蕎麦屋に行ってもほぼセイロばかりです。それが自分のスタイルでした。
単純に蕎麦のみですと、旨さがよくわかりますよね。本格的な蕎麦屋のセイロ1枚はさほど多くなく、3枚くらいぺろりと食べられます。
あと場所も名前も覚えてないんですが、仕事の移動中で日暮里から鶯谷まで歩いているときに偶然見つけたお蕎麦屋も印象的でした。やはり地元民で賑わうようなところでしたが、セイロを頼んだら初めに「生わさび」が出てきて、「自分でする」というのに驚かされました。もちろんそういうお店ですので美味しかったのだけは覚えてます。
近所のお店もあなどれない
自分の中の蕎麦ブームが落ち着いた頃に、当時住んでいた家の斜め向かいあった蕎麦屋が閉店して、居ぬきで新しい蕎麦屋が出来ました。当初はこんな近くで自分が旨いと思う蕎麦なんかないと決めつけてて行ってなかったんです。
自分の住んでたところは昔ながらの商店街でした。よく休みの夜には近所の飲み屋とか居酒屋なんかへ1人で行くんですが、ほぼどこに行っても知り合いや同級生がいて、気づけば周りは知り合いばかりという状況になってることが多かったんです。
その時に例の蕎麦屋の話題になって、よくよく聞いてみたら、なんでも北区王子で長年商売していて、かなりの人気だったとのこと。移転してからも王子からわざわざ食べに来る昔の常連客もいるんだとか。
こっちに来てからも繁盛しているということで、話をしてくれた同級生とその足で蕎麦屋に行ってみました。いざ食べてみるととても美味しく、気づけば常連のようになってしまいました。家の目の前ですし。
夜のつまみも豊富でしたので、焼酎をボトル置きして夜に行くことが多かったです。そば焼酎を飲んで、最後の〆でセイロを頼んでいました。
その店の名前は確か『ひろと家』だったはず。今このブログを書いている最中に思い出しました。そこはたまに若いアルバイトの子もいましたが、年配夫婦とご主人のお兄さんという基本3人体制した。ほぼ年配3人でやっていたこともあり、2020年頃にお店を畳んでしまいました。コロナの影響と年齢的な問題や跡取りのことなんかが、いろいろ重なったようです。
家の近所にある、こういう良いお店が少なくなるのは寂しい限りです。