【1998年は横浜の年】最高の瞬間をもう1度と願い続けて早くも24年が経ちました

五反田エリアの店舗運営スタッフ・塚田です!
今日はしつこくまたまた野球の話題です。
野球に興味がない方は…ご了承を。

目次

松坂大輔の思い出

甲子園といえば、今でも松坂大輔を思い出す人は多いのではないかと思います。

1998年の優勝。今から24年前の出来事です。

1998年といえば横浜の野球界がにぎわった時期でもあります。

まずは高校野球です。この年の激闘は今も鮮明に覚えています。

横浜高校の春夏連覇という偉業でございます。

横浜高校出身で有名な野球選手といえば松坂大輔です。この名前を知らない人はほぼいないのでは。それだけ伝説を残した人です。

まず、甲子園という舞台での死闘といえば”PL学園戦”でしょう。延長17回まで一人で投げきりました。

今後、ここまでの伝説を残すピッチャーは現れないと思います。

当時、自分もテレビ観戦をしてましたが、とにかくすごかったです。ドラマでもここまで演出することは難しいのではないかと思います。

そんな死闘を繰り広げた次に日は、さすがに投げないのではないかと思いましたが、途中からブルペンにいるんです。

本当に投げるの??と思っていたら、ピッチングマウンドに。再び伝説…。この死闘もなんとか勝ち、いよいよ決勝戦です。

そしてまさかのノーヒットノーランの偉業です。

このストーリーが伝説といわれる所以です。

1998年の横浜ベイスターズ

そして横浜といえば『横浜ベイスターズ』です(現DeNAベイスターズ)。

個人的に1998年は、かつてないほど横浜という街全体が盛り上がった年だと思います。

前年に優勝するぐらいの勢いがつき、選手の実力も上がってきておりました。1998年はいよいよ優勝かもしれないという期待感もありました。

当時の横浜ベイスターズの特徴といえばマシンガン打線です。「打ちだしたら止まらないマシンガンのようだ」と、ある記者が言ったことから、この名称で呼ばれるようになったみたいです。

当時は、石井、波留、鈴木尚典、ローズ、駒田と、2割後半から3割を打つバッターがわんさかおりました。

5点差で負けてても、最終的にひっくり返す打線はすさまじかったです。

私自身も横浜スタジアム、神宮球場、東京ドームなど、関東で開催されるプロ野球はなるべく観にいき、応援をしたことを思い出します。

横浜ベイスターズの優勝

さらに横浜ベイスターズ(現DeNA)といえば、大魔神こと佐々木主浩です。

私の記憶の中では、彼を超える抑え投手はいません。それだけ伝説を作ってくれたピッチャーです。

あの長嶋茂雄でさえ、横浜と対戦するときは8回までと言われるほどでした。佐々木が出てきたら試合終了というぐらい完璧なピッチングをしてくれました。

そして…、いよいよクライマックスです。

優勝マジックが1になりました。舞台はあの甲子園球場です。普段は阪神ファンが9割を占めてる球場ではありますが、この日はなんとほとんどが横浜ファンばかりです。

私も38年ぶりの優勝を今か今か待ちわびながらテレビ観戦してましたが、鳥肌が立ちました。

あの甲子園球場を埋めつくさんばかりの横浜ファン、そしてめでたく優勝。

スポーツで泣いたことがない自分もうるうると。本当に感動しました。

日本シリーズもこの勢いのまま見事優勝、日本一。

いまだにあの日の感動が忘れられず、1998年のような活躍を待ちわびで応援する自分。また泣きたい。

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この記事を書いた人

仕事以外は常に野球の事を考えてる中年おやじです。

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