【地方で暮らした時の思い出②】友人を頼って宮崎県延岡市へ!心機一転は出来るのか⁉

五反田エリアの店舗運営スタッフ・みむです。

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宮崎地鶏の旨さに仰天

さてさて、前回の続きなんですが、数十年前に宮崎県延岡市の友人のところに厄介になりに行きました。到着した時間が夕方だったのもあり、初日は自分が来たお祝いということで居酒屋に行ったのですが、まずはそこで衝撃を受けました。

友人も自分が来るまでひとり暮らしであり、勤務している会社の従業員はほとんどが地元の人間で、しかも年下ばかりだったらしく、あまり勤務外の付き合いがなかったそうです。したがって外食や飲みに行く機会もなく、外で飲むのは今回が初めてとのことでした。

とりあえず入りやすそうな普通の居酒屋に行き、まずはビールで乾杯。続いて焼酎のサワーを頼みましたら、店員さんに「サワー飲むの?女子みたい!」と言われました。宮崎県は芋焼酎が盛んで、ほとんどの地元民は芋焼酎の水割りかお湯割りだそうです。男性でサワーやカクテルを飲む人は少なかったようです。

芋焼酎もカウンターに一升瓶が置いてあり、ほとんど量り売りな感じで、お客が自分でお酒を入れて水やお湯を貰うと言うスタイルでした。

今まで焼酎と言えば麦焼酎で、あまり匂いのないものばかり飲んでいたので、芋焼酎に慣れるまで少し時間が掛かりました。

今の時代ですと、宮崎の食べ物もいろいろ紹介されていますが、自分がいた頃は何が名物なのかもわかりませんでした。友人に聞くと、チキン南蛮と地鶏が有名とのことで、地鶏の炭焼きと鳥刺しを頼みました。ちなみにその居酒屋には、チキン南蛮がありませんでした。

鳥刺しは東京でも焼き鳥専門店なんかで食べたことがありましたが、炭焼きは初めてでした。なんとも香ばしく、旨すぎて衝撃でした。鳥刺しも全然鮮度が違っていて、東京で食べたものとは別物でした!

延岡に初上陸した初日から、とんでもなく旨いものが食べられたことをいまだに思い出します!

今思えば不便な時代でした

友人が「来たばかりなんだから2、3日はゆっくりして、そのあと仕事を探せばいいじゃん」と言ってくれたので、2日目は友人が仕事に行ったあと、近所を散策しよう思っていました。

しかし、今と違って当時はインターネットもなく、何かを調べようと思ったら雑誌や口コミしかありません。場所なんかは地図を見て探すという手段しかなく、今の時代から考えたら、とんでもなく不便だったと思います。

でも当時はそれが当たり前でしたので、地図を見ながら書店かコンビニを探していたら、友人の家からかなりの距離がありビックリしました。地元民はほとんどが車かバイク移動、子供でしたら自転車が必須らしいです。

車は友人が仕事で使っています。自転車は車があるので買う必要なしとのことで、もともとありません。仕方ないので徒歩で目的地まで向かうことにしました。

地方の就職事情

お店はほとんどが駅の近くに集中しています。友人宅から最寄り駅までは車で15~20分くらい。それも東京と違い、ほとんど信号がないので、徒歩となると30分以上はかかります。でも、そんな急ぐこともないので、周りを散策しながらぼちぼち歩いていきました。

駅前まできたら百貨店があり、その中の書店で求人誌を買ったのですが、東京のと比べると全然薄く、仕事内容もほとんど同じようなものばかりで少しショックを覚えました。まぁそれはそうですよね!

今の時代ならまた違うと思いますが、当時の地方の若者はほとんどが都会へ働きに出ていました。宮崎県あたりですと、大阪や東京に仕事を探しに行くのが一般的だったようです。なので、こちらで就職先を探すとなると厳しいかも知れません。でも、心機一転で出来ることは何でもやろうと思って来ていたので、とりあえずは前向きに考えていこうと思いました。

せめてもの救いは、自分に車の免許があったことです。車があれば、まだなんとかなると思っていました。

まだまだ思い出はたくさんありますので、次回に持ち越したいと思います。次は『仕事&グルメ編』です。

次回こそは、たくさんの宮崎名物や、美味しかったグルメについて書いていきたいと思います。

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この記事を書いた人

好きなモノはサウナと食べる事。こよなく五反田を愛している変わり者です。

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