【私の手帳は緑色】黒革の手帳のようにカッコ良くはないけど(笑)、これもひとつの個性

五反田エリア店舗運営スタッフのわがまま猫太です。
良く言えば「個性」と言えるものを私は持って生まれてきた。それは良くも悪くも一生をともにする「個性」だ!「個性」と言うと聞こえはいいかも知れないが、ハッキリ言ってしまえば脳の病気なのだ。

目次

ADHD(注意欠如多動性障害)

私は「ADHD(注意欠如多動性障害)」発達障害というのもを持っている。それがなんなのかは診断されるまで言葉すら知らなかった。私の子供の頃にはそんな病名はなかったし、まず子供を精神科に連れて行くなんて、私の幼少期は考えられないことだった。だから親も連れて行かなかったのだろう。

私は30代前半にこの個性と出会った。本当は生まれた時から一緒だったみたいだが、わざわざ病院に行くことはしなかったので正式に出会うまでに時間がかかった。

本来違う用件で精神科に行ったのだが、先生にADHDだと思うと言われて、テストみたいなのをさせられたり、絵を書かされたりした。さらには子供の頃の通知表を持って来いと言われ、そんなのないよって思ったら、母親がそれだけは大事に取っておいてくれて持って行くことが出来た。

そして診断結果は先生の思った通り、ADHDでした。注意欠乏、多動性が著しく見られ、私はなるほどね…という感じだった。

確かに私は子供の頃、今思うととても変わってたし、自分自身もみんなと違うと思っていた。そして生きづらさを強く感じていたのだ。そのことで悩んではいたけど、身体的な痛みを伴う病気と違って、脳の病気って自分ではわからない。特に子供の頃なので病気に関する知識もまったくなかったから、私がみんなと違ったり馴染めないのは自分の性格のせいなのかとか、極度な人見知りみたいな感じなのか?と思うしかなかった。

大きくなるにつれて、私はそんな自分がとても嫌で仕方なくなってくる。自分を変える努力をしたけれど、それがとても極端な結果になってしまった。一応、なんとか人と普通に話せたり関われるようになったし、それどころかとても社交的で明るくなった。

それでもやはり生きづらさを感じてはいた。けど、その感覚はきっと私にしかわからないことなのだ。

ADHDと診断されて私は腑に落ちたことがたくさんあった。そしてそう診断されたことによって、人生も救われたのだ。具体的な話をここで書くことは出来ないが、私はこの病気によって、もっと深い心の闇から開放されたのだ。

でも、逆に少しガッカリもした。今までは人より劣る部分は私の努力不足によるもので、頑張ればいつか出来るようになるのだと思っていたけど、病気だと知って、これは頑張っても治らないのだとわかったからだ。そこは残念でもあった。

周りが私を見てもADHDかどうかはよくわからないと言われるが、ADHDの人や病院の先生から見たらわかるらしい。私もADHDの人を見るとわかる。やはり同じ類の者同士はわかるのだなと思った。

この個性のいい部分を見つけていこう

ADHDと言ってもいろんなタイプがあるみたいで、私は多動性とか注意欠乏とかが目立つようです。落ち着きがなく、じっとしてるのが苦手だったり、ひとつのことをしてるとそればかりしか見えなくなったり…。それでいて集中力が続かないから、いろんなものに目移りしたりする。

例えば、料理してると顕著に表れたりもするのだが、煮物をしながら洗い物していて、鍋が溢れるまで煮物をしてたことを忘れていたりとか、結構危ない。それ以外だと、目的地があるのに寄り道ばかりしたり、違う方向に行きたくなったり…。

今は毎日薬も飲んでるから、そのおかげで周りの人に迷惑をかけずに済んでいるが、薬を飲まないとそのような個性が出てきてしまうのだ。

そして人との接し方にも個性が表れる。その個性がとてもいい結果につながったりもすることもある。私は個性が原因でトラブルに発展したことはないと自負しているが、相手がどう思っているのかはわからない(笑)。急に突拍子もない頓珍漢なことを言い出すが、それがユニークだと思われている場合もあるのでそこは幸いである。

普段の生活も薬がなかったら、ちゃんと出来る自信がない。まず、家事は薬を飲まなかったらほぼ出来ないに等しい。私は家事が大嫌いだったから結婚願望もなかった。誰かのために家事をするだなんて絶対無理!もしそんな相手が現れたらいいなとは思っていたが、どんなに好きな人のためであっても私は家事が出来ないと思っていた。

でも、薬を飲めばなんとか出来るのだ。薬を飲むと仕事にも待ち合わせにも遅刻をせずに行くことができる。飲まなかったらどうなるのか…、目に付いたものに興味をひかれてしまって、仕事があっても興味を持った方向に足が向いてしまう。

私は学校も遅刻ばかりしていた、朝はちゃんと起きてるのに。毎日朝からファッションショーが始まるのだ。タンスの中からたくさん服を引っ張り出して、着ていく服がなかなか決まらず、あっちもこっちも興味が湧いて、しまいには母親の服まで出し始める時もあった。もちろん母親は呆れていた。

中学からは制服だからそういうこともなくなったが、今度は髪型にこだわるようなった。年頃になると髪型をいろいろチェンジしたり、髪型が決まらないとまたシャンプーから始めたり…。本当に学校に行くつもりはあるのに、どうしてもそのような行動をとってしまうのをやめられなかった。

私のそんなところが、ルーズだとかだらしないとか思われていたのだろう、その当時はまさか病気だったなんて知らなかったから。その頃から薬を飲んでいたら、多分少しはちゃんとしていただろうと思う。

もうひとつの特徴はものを覚えるまでが大変だということ。得意なことや興味があることは教わらなくても人より良く出来るが、興味のないことや、苦手なことは出来るまでに他人の何倍もかかってしまう。だから成績にもバラつきがあった。ひどい時なんか、数学が0点で社会が98点とか。偏差値も教科ごとにすごく差があった。なので高校の時は単位を取るのにとても大変な思いをした。

そして私は仕事でも好きなことじゃないと続かない…。そんな感じだったけど、薬を飲んでるから今は普通に働けている。でもやっぱり大変なことは多い。すぐに忘れたり、思いつきで仕事をしたり…。

今はなんとか普通の人に合わせてやっているつもりではいるけど、これでも精一杯である。私は一生この薬を飲まないと今の生活のレベルを保てないのか、そう思うと少し落ち込む。けど…落ち込んでも仕方ない。この個性のいい部分を見つけて、一生付き合わなければならない。

まぁ、いい部分もやはり個性だったりする。人と違った発想や思考回路は、この病気ならではだ。薬を飲むとその思考回路は少し止まるのかな?そんな気がする。

緑色の障害者手帳

そして、私はついに精神障害者手帳を申請した。なぜなら働くにあたって、この個性をフルに有効活用しようと思ったからだ。年末調整でも普通の人よりお金が多く返ってくるらしいのだ。障害者年金ってのもあるらしい。今まではそんなもの貰おうなんて思わなかったが、社員として働くようになって貰えるものは貰わなきゃと考えるようになった。その権利があるのだから有益に活用しようと思ったのだ。もともとこの病気に関しては、治療費も薬代も一生無料です。

税金とか年金とかのことまで考えると、やはり手帳を申請すべきだと思った。さらにオマケで都営線や都営バスも無料になる。タクシーも少しだけ割引。携帯にも障害者の割引があるのだ。ほかにもいろんな施設に割引があったりする。私の父親も障害者だったので、そういうシステムは知っていたけど、私が使おうとは思ってなかった。

去年、手帳の申請をしたのだが、やっと先日届いた。緑色の障害者手帳!そして障害者レベルは1〜3級まであって私は2級だった、3級かと思ったけど…。2級は3級より程度が重い、診断書でどう判断されたのかはわからないけど。

早速都営線やバスが無料で乗れるカードを役所に貰いに行った。それをPASMOにも出来るみたい。私はあいにく通勤はJRなので定期は無料にはならないが、プライベートでどこかに行くのに利用しよう。今度の休みは、ドコモショップに行ってその手続きしないと。

こんな私に付き合ってくれる夫に感謝!

今日は連休ではない普通の休み!朝から早起きして役所に行き、そのあとネイルサロンにも行った。そして天気のいい昼下がり、今は美容院で髪を切ってカラーリングして貰っている。ガラス張りの店内に日が差し込み、明るい内装をより引き立てている。

ここは原宿。竹下通りでクレープって年齢でもないけど、たまには竹下通りを歩いてみるのも良さそうだ。もう原宿はそんなに頻繁に来る場所ではなくなったけど、若い頃のことを思い出す。

若い頃は原宿も渋谷も馴染んでいた。けど今はもう私にこの街は不似合いだ。やっぱり竹下通りはやめて、表参道ヒルズにでも行ってみようかな?いつもは夫と来るけど、ひとりで表参道ヒルズに行ったことはない。ひとりでその辺をブラブラしてみよう。そして良さそうな店があったら入って、酒でも飲もう(すぐに酒を飲もうとする半アル中気味の私)!

そういえば今日は夫に頼まれてたミッションがあった。私はすぐに忘れるから夫にメモを持たされていたのだ。コーヒーを濾す紙と、そのためのカップみたいなやつ、名前なんていうのか知らないけど、それを買ってくること。シャワーヘッドの塩素除去のアタッチメントみたいなのを新しいのに変えておきなさいってこと。そしてカトラリー入れを整理整頓しておくこと!だって。

こんなメモを私の携帯ケースに入れてやがった。普段の私は本当に子供のようだ。こんな私を妻にした夫はさぞかし大変だろう。結婚当初も私の扱いに困っていた。私の個性についていけなかったり、それが個性なのか性格なのかの判断も大変だったみたい。でもなんとか私に付き合ってくれていることに感謝!

ってことで、本日の休日もとても有意義でリフレッシュ出来ました。先日の高級サウナといい、最近の休日はとても充実しています。日頃、頑張って働く者にはこのような楽しみがある。やはり働くって素晴らしい、そう思えた1日でした。また明日からも頑張ろう。

そして最後に、この会社は私のような個性を暖かく受け入れてくれる懐の深さがある。私のような個性ではなく、本当にさまざまな個性派揃いの会社です。だから個性派の人もそうでない人もぜひ応募してみて欲しい。そしていろんな個性が混ざり合って、さらにいい会社になったらいいなと私は切に願っています。

この記事が気に入ったら
いいねしてね!

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

文字で自己紹介ってとっても難しい。まぁ簡潔に。私は猫太と猫次郎と猫麻呂という我が子とラブリーな夫に囲まれて、のん気に生きている。縛りとか上下関係とか気にしない自由人で〜す(^^)/

目次
閉じる