【今の私にとって働くということ…】仕事をすることで社会と繋がり今も成長を実感!

 五反田エリア店舗運営、女性スタッフのわがまま猫太です。

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私なりに自由に!

なんかこのブログも、今までは内容的になんでもいいよって感じだったけど、今回から仕事を絡ませなきゃならなくなったらしい。それがなんでなのか私は知らないし、どうでもいいけど、多分読むであろう対象人物に向けて、メッセージ性があったほうがより良いという会社の意向なのだろう…。

まぁ確かにそれはそうだろうし、読む人が誰なのかは知らないけど、きっとこれを読んでくれた人が、我々の将来の仲間になりうる人の可能性があるからそうなったのかもね。

それならそれで、私なりに自由に書こうと思います!

仕事絡みにすればなんでもいいってことだろうから、書くことは山ほどあるし、むしろテーマが決まってるなら書きやすい。それが読む人にどう思われるのかとかは考えてないけど、私はどんな内容でも私らしくしかできないので。それはこの先も変わらずいこうと思います。

今回はいかにもって題名にしたけど、次回からは最終的に仕事に絡めりゃいいんだろうから、まったく関係ない内容から仕事絡みにするつもりでいます。

生きていればブログに書くことなんてたくさんあります。私はまったく苦にならなくて、例えばどんな生活していようと、健やかなる時も病める時も(笑)、どんな時だって生きている以上、何かしら思いはあるから書くこともできると思っています。

若い頃は「働く=お金」だったけれど

ということで、前置きがまぁまぁ長くなったけど(私的にはまったく長くないが、読む人目線でそう書いておいた(笑))、私にとって働くことって何かと言うと、働くことは日本人にとって憲法にもあるように、三大義務のひとつだけれど、私は国の義務だからではなく、私自身の義務だと思っています。

私の中で、「働く」とか「仕事」とかって、今は自分が自分であるためにすることだと思っていて、それをほかの人に押し付けるつもりもないし、わかってもらう必要もないんだけど、とにかく働いていないと私は寂しいのです…(寂しいという表現が適当なのかは不明)。

若い頃は働くことに対して、対価を求めていた時期もありました。私にも多少の資格はいくつかあるけれど、これといって活かせる資格じゃなかったし、その資格を活かした仕事に魅力を感じなかった。でも、若い頃って今よりも経験が浅いから考えも浅はか。働く前から給料のことを考えたり、目先のお金のことしか考えなかったり…。結局「働く=お金」としか思ってなかった。

ところで私の両親ですが、父は元流し、そして母は元ナース(のちに父のせいで水商売)でした。とても働き者で普通にやっていれば、きっと成功者だっただろうって思います。

ですが、成功したかと思ったら、父親の女性問題により、母がどうしても耐えられなくなり、一家は転落。

私は子供の頃から両親の働きぶりを見てきて、それに関しては尊敬できる部分が多々あります。父親はなぜが無駄にモテる男で、仕事上の浮気は日常茶飯事。それに対して母はそんな男に惚れたのだから仕方ないと思っていたらしいけど、ついに耐えられなくなる事件が起こりました。そして我が家は奈落の底に落ちていくのです。

まぁ、今回ここでその話を語るつもりではないので軽く触れただけですが…。そんな私の父親はなかなか破天荒で、いい意味でも悪い意味でも地元じゃ有名人でした。いつも子供の私に水商売の極意みたいなものを語ってばかりいました。

まぁ、子供の私にとっては何を言ってるんだ?って感じで、どうしょうもない父親だなって思っていたけど、高校生くらいになってからは、だんだん言ってる意味も多少理解はできるようになりました。

そして、私はそんなおかしな親に育てられたせいか、その言葉を全部鵜呑みにはしていないものの、血筋は争えないようで水商売の道に入りました。

自分で生活できるようになりたくて

高校生の時からキャバクラでバイトしたり、コンパニオン会社の社長に取り入って働かせてもらっていました。

その前にはあんみつ屋、ファミレス、居酒屋、スーパーのレジのバイトをしましたが、その時にお金を稼ぐということの大変さを生まれて初めて知りました。その後、私は父親のおかしな助言に多少洗脳されていたせいか、キャバクラやコンパニオンの仕事を迷わす選択。それに対してまったく悪いとも思わなかったし、金を稼いで自分の人生を切り拓いていくのだ!と、一心に信じていました。

さっき我が家は奈落の底に落ちたと言ったけど、本当にここでは書けないほどボロボロになり、私も相当荒みました。だけどグレるつもりはありませんでした。親のせいでグレるってのが嫌だったからなのかもしれません。なぜなら親に負けた気になるからです。私はグレるより、自立して親の元をいち早く離れたかったのです。だからその頃はお金が第一でした。

早く自分で生活できるようになりたくて、高校生の頃からお金を貯めたいと思っていた。奈落の底に落ちた我が家は、私の教習所代も払える状態ではなかったし、その先の成人式のお金だって自分でなんとかしなきゃって思ってました。

そのおかげで私は高校生ながら、教習所代も全部自分で払うことができました。そして高校を卒業して家を出てキャバクラの寮に入り、のちに独り暮らしして、成人式の衣装代も稼いで、結果親に頼ることはありませんでした。

そうやって若い頃は、若い自分をどれだけ高く売ろうかと考えてやってきました。その挙句、私はキャバクラにとどまらず、20歳になってすぐに吉原で働くようになりました(借金は1円もないのに)

人を幸せにするには、まず自分が幸せであることが大事

私の若い頃は、今のようにスマホもないし、それどころか携帯電話すらやっと世に出てきたばかりの頃。だから風俗サイトもないし、求人も雑誌からがメインでした。

風俗で働く女性も借金まみれだったり、ホストに溺れた人など、ワケありの人ばかりでした。その上、今と違って吉原で本当の20歳など、ほんのひと握りしかいなくって、みんな歳をごまかしてました。それが当たり前だったので、その頃は本当に20歳ってだけで結構稼げました。だから今みたいに若くて可愛い女の子が風俗で働いてるってすごいなって感じます。

私の頃はそんな時代だったから、若さにかまけて努力不足だったと思います。それでも稼げる時代でした。なので今の女性達は大変だろうなって思う。今は本当に若くて可愛い女の子達が当たり前のように風俗で働く時代です。その上でさらに努力も必要になっています。

吉原から始まった私の風俗経歴は、本当にふざけた感じでした。その頃はそれがまかり通っていて、それなりに稼げた時代だったのは幸いでした。きっと私が今の時代に生まれていたら、風俗嬢としてはやっていけなかっただろうなと思います。

だから我が社のタレントの皆さんは、本当に大変だと思うし、すごいなと思います。だからこそ、サポートしてあげたいとも思う。

そして私がどうしょうもない経験をしてるからこそ、いろんな人の気持ちがわかります。多分、当グループの女性達で私以上にどうしょうもない人はいません(笑)

本当に人生を舐めていた時期もあったし、でもそれだからこそさまざまな経験ができたのかもしれません。なので時にはドン底まで行ってみることを推奨したくもなります。ドン底を知らないくせに何を言ってるんだ!と思うことがしばしばあるからです。

働くってことの第一はお金って思っていたあの若き日々から、語りつくせぬ多くの経験を経て、今は若い頃には考えられなかった働く動機が芽生えるようになりました。

「自分のため」っていうのは軸として変わりません。よくきれいごとで世のため人のためとか言ったりするけど、私はまったくそうは思わなくて…。世のため人のためってのは、自分のためになんでもやって満足した人が言うことであって、自分が幸せでないのにそんなことが言えるのは、やっぱりきれいごとに過ぎないと思います。

誰かのために力になりたいとか、サポートしてあげたいとか、そんな簡単な話じゃないと思ってます。人の力になるには、まず自分がそれに相応しいスキルや経験を積まなければ説得力がありません。そうでなければ、きっと上辺だけのサポートになってしまうでしょう。

私は以前のブログで、「成功への近道は幸せになること」と書きましたが、やはり人を幸せにするには自分が幸せでなければならないのです。

専業主婦って大変

今の私にとって働くということは、まず私の心身の健康や幸せのためです。

私は結婚していますが、子供はいません。子供もいないのに専業主婦って、これほどまでに私に向かないカテゴリーはないと実感しました。何不自由なく生活させてもらってはいますが、それに甘んじて専業主婦でいるってのは本当に大変。専業主婦ってまったく楽ではないのです。精神的にも肉体的にも。

専業主婦をまっとうするとなると、私はそれこそ給料が欲しいと思います。家事って自分のためにするならそうでもないけど、人のためにするとなると本当に大変なのです。夫に文句ひとつ言わせないように主婦業をまっとうする主婦は、本当に素晴らしいと思うし、尊敬します。

毎日の掃除、洗濯、炊事…こんなものは当たり前にできなければ主婦とは言えません。その上、家計のやりくりなんて私にはまったくもって無理なのです。だから私は今でもお金の管理は全部夫任せです。その挙句、私は料理以外の家事は全部苦手で、夫を満足させることができないのです…。なぜならウチの夫は家事がとても得意で、夫には到底かなわないから

私は数年専業主婦をしましたが、専業主婦だけは根性でなんとかなるようなものではないと思いました。そして、だんだん嫌になって午前中から酒を飲むような毎日になりました。そんな日々が本当に嫌でした。これを続けでいたら、私は女としてだけではなく、人としてもどんどん自分を嫌いになるだろうと思いました。

夫に頼って何不自由なく生活して、それなのに夫のための家事すら満足にできない…、そんな状況から逃げたかったのかも知れません。ウチの夫は家政婦並みに家事が得意で、しかも苦にならないと言っています。私と性別を交換したら、きっと互いにもっと幸せだったかもしれないって思うほど…(笑)。

私は午前中から酒浸りの専業主婦から抜け出したかった。逃げってのもあるけど、自分らしくなりたかったってのもある。

初めの頃は朝起きて掃除もしてた。でも、その時間は夫も寝てるから、ガタガタ掃除機をかけたりすると、うるさいから俺がやると言い出した。それ以来、家事はほぼ夫にやってもらうようになりました。

私はそのおかげで仕事に専念できるようになりました。だから、夫のためにも、つらくても多少のことじゃ仕事を辞めるなんて言えない状況になったのです。

そこまでやってくれる夫に対して、ちょっとつらいからってやっぱり専業主婦に戻りたいなんて口が裂けても言えませんし、言いたくない!だから私は仕事してる。

それに専業主婦より、よっぽどいいもん!専業主婦にケツ割って仕事させてもらってるのに、今さら仕事までケツ割るなんてみっともないにもほどがある(笑)

そして、仕事をすることによって私は生きている気がするのです。社会と繋がって、いろんな人と関わることによって、私は今でも成長をしていると実感できる。これが何よりの報酬です。若い頃の私には考えられなかった仕事の価値観。

価値観って言えば、父親の言葉で印象的なのを思い出しました。「生まれてきた以上、人よりいいもの食って、人よりいいもの着て、人よりいい車乗って、いい生活する!そんな欲があるほうが人生楽しい」。

若い頃の私は、お金お金って思っていた。でも今はそればかりではない。自分の健康と精神を保つもの、それが第一!そしてそれは夫がいてくれるからこそのもの。私が働くことに理解を示してくれ、サポートしてくれるからです。

人のサポートをするからには、サポートする側も幸せでなければならないという私の考えから、やはり私のサポート役の夫にも幸せであって欲しいのです。そうでなければ私へのサポートが行き届かなくなります。だから夫には幸せでいてもらわなきゃ。そのためにも、まず私が生き生きとし、休みの日には2人で幸せな時間を過ごしたい。

そして最後に、いつも私の心の支えになってくれて、家事をしてくれる夫のためにも、私はこれからも働きます。専業主婦を放棄した分、夫にそれ以上の見返りを与えてあげたいのです。

でも、夫は私が幸せならそれでいいって言ってくれる。だから私はまず私のために!そしてそのおこぼれで夫や周りの人達のためになれたら最高です。だって人間は小さな幸せのために働き、それがどんどん積み重なって大きな幸せになるのだから。それでこそ「人のために」って胸を張って言えるのだろうから。


P.S 家事は料理以外が大の苦手だと言いましたが、料理だけは夫に褒められるので、私の作った料理の画像でも載せておきます。今回載せる画像に困ったため(笑)。

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この記事を書いた人

文字で自己紹介ってとっても難しい。まぁ簡潔に。私は猫太と猫次郎と猫麻呂という我が子とラブリーな夫に囲まれて、のん気に生きている。縛りとか上下関係とか気にしない自由人で〜す(^^)/

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