【大沢回想録⑬】コロナ禍同様に大変だった東日本大震災当時の様子を思い出しながら…

おひさしぶりです。錦糸町エリア店長のマーライオンおおさわっちです。
ブログの投稿が、かなりひさしぶりになってしまいました。なぜかと言うと、ボイコット酔っ払って転んで頭蓋骨が割れて鼻から髄液が垂れてきて1カ月ほど入院していました。入院期間とブログを書かなかった期間が合わないことはお察しください。ということで今回も、ワタクシが働いていて衝撃だった事件を暴露していきたいと思います。

過去の【大沢回想録】はコチラから!

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東日本大震災の時

衝撃だったことといえば、この業界のみならず世界中を震撼させた12年前の出来事、東日本大震災を回顧してみようと思います。

発生時、ワタクシは錦糸町の受付所でもうひとりのスタッフと仕事をしている最中でした。揺れがおさまってから外に出ると、隣のピンサロのお姉さんが叫びながら半裸で階段から飛び出してきたことが、まず衝撃でした。

事務所のほうを見に行くと、デスクは全部倒れて、書棚からが書類がすべて床に散乱していましたが、物に当たって怪我をした人は誰もいなかったのが救いでした。

臨時休業せざるを得ない状況

まずは、キャスト様やスタッフの安否を確認しようと思っても、ご存知の通り携帯電話が繋がらない。

被害状況を確認して営業を続けようと思っていましたが、どうやらそれどころではない状況だということに気づきました。

ホテルはエレベーターも動かないし、水も出ないのでシャワーもできない。

電車は止まってるので、お客様もキャストも動けない。臨時休業せざるを得ない状況でした。

なんとか当日出勤していたキャスト様とスタッフの安否を確認し、当日は休業することを伝えて帰宅してもらおうと思いましたが、電車が動いていないので帰ることができない、いわゆる帰宅難民です。

なので、車で通勤しているスタッフで手分けして、キャスト様を送ることにしました。

しかしながら、道は大渋滞です。錦糸町から新小岩までの通常15分ほどの距離のところ6時間もかかってしまいました。

車で移動するよりも歩いたほうが明らかに早かったので、キャスト様たちもあきらめて車を降り、歩いて帰られました。

結局、自分は新小岩でUターンして錦糸町に戻ることにしました。錦糸町に向かう道は下りよりも全然空いていて、1時間もかからないで戻ることはできましたが、自分自身は当日に帰宅することをあきらめて、事務所で一夜を過ごすことにしました。

ガソリンの確保には苦労しました

その次の日以降も、いろいろ大変なことはありましたが、仕事上で一番困ったのはガソリンでした。

ガソリンがない。あったとしても長蛇の列で数時間待ちという状況。デリバリー型と言う性質上、車がないと厳しいのでガソリンの確保に苦労したのを記憶しています。

当時はいろいろと大変でしたが、無事に乗り越えています。これからも地震や戦争、天災は起こりうると思いますし、必ず起こるでしょう。

コロナ禍同様に、天災から多くを学び、乗り越えられたことは大きな自信となり、さらに強いグループになったと思っています。

そんな強い会社で、あなたも働いてみませんか?

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この記事を書いた人

最近、何故か○ンニバルと呼ばれます。BMIは22です。戦争しないでラーメン食べよう!

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